【解説らしきもの】小路啓之「束縛愛」の最後の数字について
こんにちは。
小路啓之さんは本作で7作目になりますが、オチが分からなかったのは初めてなので、少し考えてみたいと思います。
後述しますが、個人的には「作者がそこまでちゃんと考えてない」説が一番有力だと思うので、正解がない(と思われる)中での、気楽な見解となります。
①ミオリの数字について
・最初の数字 → 0
・最後の数字 → 1
問題はこの1がユウゴに対するものか、くくるに対するものなのか、という事ですが
私はユウゴへの1でないかと思います。
まずタイトル通り、本作はミオリからユウゴへ向けた束縛"愛"の話ですし、数字が変わっていた場面で
「カゴの中の鳥が外に出た」「ココからワタシの束縛愛がはじまる」
とユウゴに対するモノローグが入り、1巻が終わっています。ただ望むものは対等な愛でなく、ペットとしての主従関係であったため、事情を知っているくくると結婚というオチになったのではないかと思います。
もしかしたら、子供を作れないユウゴに新たな主人を与えるために、くくると結婚という手段をとったのかも知れません(なかなか最低な考え方ですが、作者ならやりかねない)。
ミオリとくくるが両思いであった事実は、ミオリ本人からは確認がとれずに完結となってしまったため、ここの真実は迷宮入りとなっています。
②ユウゴの数字について
・最初の数字 → ♾ +1
・途中の数字 → 1
・最後の数字 → 2
まず最後の2という数字ですが、
ミオリとユウコであることは間違いないと思います。
くくるという線も捨てきれませんが、最終話のユウゴのユウコへ向ける笑顔が、そういうオチな気がします。親友という割にはくくるの扱いが雑でしたし、そこに絶対的な愛情はない気がします。
くくる側も「ユウコはボクにとって"も"大切な存在だ」と言っているので、ユウゴの2には納得している様子です。
問題は ♾ +1という数字です。
これは正直全く分からないです。ただくくるもユウゴも自分で確認した自身の数字が『複雑な数式』であったのに対して、見えるもの同士で確認しあうと1になっていました。
このことから自分の数字だけは抽象的な数列にしか見えてないという設定が出てくる訳ですが、それに関する設定ミスが ♾ に繋がるのではないかと考えています。
いろいろとここへの考察はあると思いますが、
・ユウゴの数字が ♾ + 1から1へ変わった瞬間の描写がない(家出前→転入後にしれっと変わっている)
・上記の家出期間中に、特に心動かされるような展開がなさそうである
ことから、私はそもそも ♾ に意味がない説を推します。 冒頭に書いた「作者がそこまで考えてない」説もここが理由になっています。
③くくるの数字について
最初の数字 → 0
最後の数字 → 1
最後の1ですが、これはミオリに向けられたものなのは間違いなさそうです。
数字が変化したのがユウゴに出会う前でしたし、ミオリにフラれる妄想で泣く、最後に結婚している、など、証拠は揃っている気がします。
では、なぜユウコが大切な数に入っていないのか、という問題ですが、別に数字に入れる存在ではなかったからではないかと思います。
皆さん忘れられると思いますが、そもそもこの数字は個人の価値観で、犬の散歩の回数であったり、作ったプラモデルの数であったり、「愛する人」に限ったものではないという事です。
物語の構成上、数字=愛する人みたいな空気になっていますが、この数字が本来意味するものは「大事にしているモノ」なので、全員バラバラで良いはずです。
くくるはもともと数字が0の変わった人間であり、同じ0の人間のミオリに惹かれるところから物語が始まりました。よって、頭上の数字が0で自身がシンパシーを感じた人間が最後の1を表しているのではないでしょうか。
この理屈であれば、数字が1になったくくるは、もう数字が増えることはないと言えます。
④そもそも数字の意味
ミオリの1は自分のペットの数
ユウゴの2は自分の主人の数
くくるの1は自分と同じく0である人間
と仮定することもできます。
最終ページの
「すぅーじのいちぃはー」「なぁーーにぃ?」の場面も、いかにも伏線回収っぽいですが、もしかしたら1には様々な捉え方がある=数字には大きな意味がないのが、最終的な作品のメッセージかも知れません。
いや、何度も言うけど、小路啓之さんはそこまでは考えてない気がします。
単純にコメディとして面白い作品でした。読んでいただき、ありがとうございました。